この記事のポイント
- 「家督相続」から「個人意識の高まり」
- 遺産相続では、法定相続よりも遺言による相続が優先される
- 残された者に自分の意思をはっきりと示すことで、相続のトラブルを防ぐ
遺言書って、なに?
皆さん、「遺言書」ってご存じですか。
おそらく、皆さんはこう答えるでしょ。
「当たり前だ。亡くなった後のために、財産の分け方を決めておくものだろ、バカにするな。」
それはもう、正解です。バカになどしていません、怒らないでください。
さらに皆さんご存じのように、遺言書が無くても、相続手続きは出来ます。
相続人の間で、分け方を決めてしまえば、それで財産を分けることは出来るのです。
現に今までは、遺言書を書く人のほうが圧倒的に少数派でした。
これを読んでいる皆さんに対して、もし遺言書を書くことをオススメしたら、どのように考えるでしょうか。
「遺言書なんてお金持ちが作るものだろ。うちには関係ないよ」
「うちはみんな仲がいいから、そんなもの無くてもスムーズに話し合いがまとまるよ」
「むしろ、そんなものを書いて家族間で差をつけたら、かえって仲が悪くなってしまうよ」
聞こえてきます。非難めいた、冷ややかな心の声が。
でもね、誤解を恐れず声を大にして言わせてください。
『大切な家族に、手間とトラブルの種を残して旅立つつもりですか?!』
モノを投げるのはやめてください、最後まで聞いてください。
今までは、遺言書などなくても、家族間の話し合いは、まとまりやすい環境にありました。
なぜなら、明治憲法下の旧民法(明治31年~昭和22年)では、家督相続が原則とされており、その風習が地域によっては最近まで色濃く残っていたからです。
家督相続とは、主として長男である家督相続人が戸主となり、家の財産を一括して継承、相続することを原則とする相続の考え方です。
では長男はただ財産を取得するだけかというと、そんなことはありません。
年老いた両親の面倒を見る必要もあるし、葬儀や法事などの冠婚葬祭や墓地の管理、寺院などとの付き合いなど全て長男が行うのです。
そういった負担もあるので、家族間で揉めることは少なく、分け方に関する話し合いもまとまってきたと言えます。
しかし、現代では、個人の権利意識が強まって、法定相続分(相続人がもらえる目安)を当然の権利として「もらえるものは、もらおう」と考える傾向が強まっています。
それは、長男においても両院と同居せず、また寺院などとの付き合いも希薄になった現代では当然の流れだと思います。
現代では、遺言書の重要性はさらに高まっている
遺産相続において、法定相続よりも遺言による配分が優先されるという大原則があります。
遺言によってあなたの意思が明確にされていれば、相続争いを防ぐことも、相続そのものをスムーズに進めることも出来ます。
また遺言では、相続権のない人や団体に感謝の気持ちとして財産を残すことも出来ます。
自分の財産をどのように相続させたいか、最終的な意思表示をする手段が遺言です。
財産をどのように管理し、そして整理し、次も世代につなげるか。今後の方向性をはっきりさせる意味でも、遺言を書いておくことを強くおすすめします。
このブログでは、今後も遺言書に関する情報を発信していくので、ぜひ参考にしてください。
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